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2022/07/27 10:46
1946年にWHO(世界保健機関)が出した「健康」の定義があります。
「健康とは単に病気ではない虚弱でないというのみならず、身体的、精神的、そして社会的に完全に良好な状態である。」
これは単純化すると、健康は病気ではなく完全に良好な状態をいうのであり、そうでない場合は病院へ行くなり薬を飲みなさいということで、病気でないことが健康であり、健康であるための方策を出しているものではありません。
以前読んだ本の中で、健康に対してアメリカ人の考え方を紹介する記事がありました。
アメリカでは日本のような皆保険制度が無いので、病気になると自費で高い医療費を払わなくてはなりません。また肥満者が多いこともあり、健康を維持するためにジョギングやスポーツジムに通う人が多いといわれます。
運動やスポーツで病気にならないことが健康だと割り切った考え方です。
ところで日本について考えてみましょう。
日本の江戸時代の平均寿命は28歳だったといわれます。飢饉や疫病が流行ると平均寿命は18歳であったという記録があります。
この時代には、天命に従い自然に生き、生涯をよりよく生きようという「養生」という考え方が広がりました。
日本で「健康」という言葉が使われ出したのは明治以降です。比較的新しい言葉です。
国を挙げて栄養面や健康維持の環境づくりに向けた近代化が図られます。
スポーツの振興や全国民向けにラジオ体操放送も開始されました。
戦争ということもあり国家要請の健康づくりでもあったのです。
戦後は「健康は他から与えられるものではなく、自らつくり出すもの」として、国としても体力づくりや保健・栄養施設等の環境整備を進めます。
高度成長期以降は、豊かさの中でのストレスなど心身への配慮も進み、「豊かで充実した生活」に向け個人の人生を充実させるための健康観が芽生えてきました。
その結果、現代の人々の健康観は2014年の労働厚生省「健康意識に関する調査」によると、73%の人が自分を健康と考えている一方、自分の健康について不安に思う人が61%もあり、その内容も「体力の衰え」「持病がある」「ストレス」「精神的に疲れる」という内容でした。
健康といいながら不健康の不安の中で生活をしているようです。
病気や虚弱はひとつの結果です。病気になる前の状態を健康というのでは、あまりに健康の中身がなさすぎます。
そして病気ひとつとっても色々な原因が考えられます。
栄養不足なのか、睡眠不足なのか、抗体・体力不足なのか、このように不足が続くと結果として病気になるのです。
生活習慣病が取り立たされています。「病」という字がついていますが病気ではありません。そのままでは病気になりますよという病気予備軍の事で、そのような人は多くまた増えています。
何も自覚できないので、病気ではなく健康と思い込んでいるのです。
ここで、私たちが頭の中にインプットされている「健康」について一度考え直す必要があるようです。
現代のように長生きが出来なかった時代、生涯をよりよく生きようという「養生」という考え方をかみしめてみましょう。
養生とは生命を養うということで、人間の内から身体の状態を整え健康を増進し病気の自然治癒を促すことで、節制と栄養、運動,休息(睡眠を含む)をバランスよくとることです。
戦後出された「健康は他から与えられるものではなく、自らつくり出すもの」につながるもので、養生の基本は「自力」です。他に頼るのではなく「みずから」の内なる力を養い、「おのずから」備わっている命の働きを大事に守ることなのです。
病気になったらそれを治療するというのではなく、病気にならないように身体を整えるということであり、健康は自分でつくるということに尽きます。
養生を自己医学と考えるならば、それは生活の中から生まれた医学で、衣、食、住を基本として「健康で幸せに生きる」ために生まれた自己医学といえます。
人間の内側から健康を考えてきたのは人間の健康を見つめてきた先祖たちで、代々伝わる発酵文化にその思いを伝えています。
こうじ菌を使い様々な食材から生活と労働を支えてきました。米麹甘酒も健康を内側から支えるものとして、今日まで多くの人々の健康を支えてきました。
発酵飲料「米麹あまま」は食を通じて体の中から健康をサポートする逸品です。「健康で幸せに生きる」体をつくるためにご愛飲ください。