2022/02/04 14:22

2月3日は節分でした。
子供の時は親の配慮で豆まき・節分を楽しんだのですが、大人になると関心が湧きません。
しかも暦にある節分、ひな祭り、子供の日などは通過儀礼としか思っていないようです。
それでもその一つ一つに意味があることを知っておくことも、蘊蓄というより歴史・習慣という先代からの届け物として知るのも良いかもしれません。

本来節分とは「立春、立夏、立秋、立冬の前日」ということです。
旧暦新年を表す立春は年のはじめとして重要視され、その前日・節分に様々な行事が古来行われてきました。
2月3日はそんな立春(2月4日)の節分でした。
年越しの日には古来、魔物や鬼が現れて悪さをするといわれていました。
豆まきは、古代中国から伝来した陰陽道による「追儺(ついな)」という行事に由来します。
陰陽道では陰は見えない気、邪気として扱われ陰(おん)=隠人(おんにん)からおに(鬼)になったといわれます。
日本では役人が武器を持って悪霊・鬼を退治する行事がありましたが、平安時代には魔物を追い払う武器の代わりに豆が使われるようになったものと言われます。
五穀の一つ大豆は穀霊が宿るとされているので、悪霊・鬼祓いの手段です。
魔滅(まめ)、魔を負かすに通じるものがあるあるようです。

節分が立春の前の日であることから、その根拠となる昔から伝えられた「二十四節季」も知ってみましょう。
二十四節季は1年を24等分したものです。
日照時間が最も長い「夏至」と最も短い「冬至」で2分割し、さらに昼夜の時間が同じ長さになる「春分」と「秋分」で4分割、それらの中に立春、立夏、立秋、立冬を入れて8割、その8っをさらに3等分して24の節季に分けます。
これは四季の推移を知るために生まれた先人―自然と共に生きる農耕民の知恵でした。
都会に生きる四季の感覚の薄れた都会人―現代人には感じられない農作業、タイミングのために作られ生かされた四季―自然の彩(いろどり)の表現なのです。
陰暦と陽暦での差はありますが四季はそのままで、人々の生活の中で息づいています。古いものではないのです。
昔から伝わり現代でも暦に残り、人々が行っている行事に祖先の思いを感じることが出来るかもしれません。

節分の意味が分かったところで、それでは3月3日のひな祭りはどうでしょうか。
この日は「上巳(じょうし)の日で、3月初めの巳の日(五節分のひとつ)です。
この日は穢れを抜いて清めるといった、招魂の意味を持ちます。
日本書紀では「3月3日は上巳の節分」として祓いの道具として人形があり、初めは人形を川に流し穢れを清める風習でした。
ひな祭りは、流しびなから来ています。平安時代、貴族の子女が遊んでいたままごと「雛あそび」と合わさり、江戸時代頃から女の子の祭りとなったものです。
桃の花の咲く季節「桃の節句」とも言われます。節句とは季節の節目(ふしめ)のことです。

5月5日の端午(たんご)の節句はどうでしょう。
端午とは最初の牛の日という意味で、「端」は最初や始まりということです。
牛の月が5月になっていますが、中国の古い暦では十二支の寅から1月が始まり牛の月は5月になっていました。この5月(牛の月)と5が重なる日を吉日として5月5日に決められたものです。
端午の節句は奈良時代から続く「5節句」のひとつで、病気や災難を避けるための行事が行われ子供の安全を願うためのものでしたが、江戸時代以降男の子の祭り・記念日となったものです。
このように私たちを取り巻く季節、気候の中で、古くからの習慣や陰陽道を用いて生活、伝統化し子供の祭りとしたものです。自然と共に生きる人々・庶民の生活の知恵でもあったのです。
11月15日の七五三の祝いも、この日は陰陽道による「二十八宿の鬼宿日」に当たり吉日とされていた月日です。
旧暦の霜月(11月)は農家が収穫を終える時期で、そのための「収穫祭」を11月の満月の日に行う習慣があり、収穫と子供の成長を合わせて氏神様に祈願する日となったものです。

何気なく見過ごしている暦にかかれた行事ですが、先人の知恵と思いに心動かされるものです。

先人から伝わる生活と健康維持のため伝わる発酵文化は、今日皆様の家庭に届ける甘酒として生き続けています。
ご家族、お子さんの健康のために「米麹甘酒あまま」をご愛飲ください。