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2021/09/14 11:12
甘酒は今日飲む点滴といわれ、江戸時代には庶民の健康を守る幕府公認の栄養強壮剤でした。
湿気の多い東洋では、古来先祖の知見と生活の糧として発酵食品が造られてきました。
今日私たちの生活の必需品としての味噌、醤油も発酵食品です。
そこで、味噌と醤油の歴史も簡単に見てみましょう。
味噌の起源は古代中国の食品「醤」(しょう、ひしお)と考えられます。
日本で「味噌」という言葉が登場したのは平安時代です。
奈良時代、「大宝律令」に「未醤」という言葉がありますが、「みしょう」➡「みしょ」➡「みそ」に変化したと考えられます。
平安当時には食事で食べたりなめたりしていましたが、高貴な食材で庶民には手が届かなく公家など高貴な人しか味わえませんでした。
鎌倉時代の禅僧が中国伝来の味噌をつくり、それに水を加え味噌汁が出来ました。やがて庶民に広がり、当時の武士の「一汁一葉」が日本人の食生活の基本となりました。
室町時代から自家製の味噌づくりが始まり、貴重なたんぱく源として又保存食として庶民の生活の糧となり今日まで続いています。
それまでは弥生時代から調味料は大豆ではなく、魚からつくる魚醤などの塩蔵食品だったと言われています。
ここで、醤油の歴史も見てみましょう。
鎌倉時代の禅僧が味噌づくりを始めた時、味噌づくりの過程でたまたま誕生したのが「たまり醤油」で、これが醤油の起源だと言われています。
この時の禅僧が紀州由来の人だったことから、醤油発祥の地が日本の和歌山県ということになっています。
醤油という言葉が使われるようになったのは、室町時代末期からです。
それでは漬物はどうでしょう。
漬物が初めて記録に現れたのは奈良時代で、平安時代には種類も増え野菜だけではなく桃や柿、梨の漬物もありました。塩漬けにして保存性を高めていたのです。
ただ、当時は野菜の栽培も一般的ではなく、漬物を食べることが出来たのは豪族など、ごく一部の人々でした。
やがて武士の世になり、梅干しが戦時携帯食として欠かせなくなり、また禅宗の精進料理を基にした懐石料理ではご飯と漬物の習慣が出来たと言われています。やがて庶民に広がります。
米ぬかと塩を併せた「ぬか漬け」や大根をぬか漬けした「たくあん」も江戸時代にその起源を持ちます。
塩漬けだけでの一夜漬けでは発酵食品とはなりませんが、長期保存と栄養付加には発酵食品として乳酸菌が活躍し、食物繊維やビタミンなどの栄養が多く含まれることになります。
ところで納豆ですが歴史は古く、弥生時代までさかのぼるとされています。
中国から伝わった豆類の栽培が始まると、煮た豆を藁につつんで保存した結果、自然発酵してバクテリアや納豆菌により豆腐が誕生したと考えられています。
聖徳太子は愛馬に餌として納豆を与えていました。
甘酒の歴史もお米が作られるようになってから作られるようになったという古い歴史を持っています。
紀元3世紀には「醴」(あまざけ)にお酒を加え酒宴を行ったと伝えられています。
古来から伝わった発酵文化の一方の軸に甘酒そしてお酒があります。
先祖から伝わる庶民の栄養ドリンク、アルコールを含まず子供から妊婦、老人まで命を守ってきた甘酒を、
もう一度見直してください。
米麹甘酒あままは、皆さまの健康の歴史的サポーターです。