2021/02/23 17:38

33日は何の日?

1956年日本耳鼻咽喉学会が制定した耳の日。そしてあのヘレンケラーにサリバン女史が指導を始めた日。電話を発明したグラハム・ベルが生まれた日。

そして大事な桃の節句が令和333日なのです。


桃の節句、ひな祭り。ひな祭りに飲まれるのが甘酒です。

33日は古来祝われている大事な日なのです。

古のしきたりを祝いながら、この令和を祝って大いに甘酒をたしなみましょう。


33日は中国の唐から季節の節目となる節句の文化が伝えられ、「上巳(じょうし、じょうみ)の節句」の日として厄払いに平安時代に紙で作った小さな「人形(ひとかた)」を水に流し、貴族は「曲水の宴」を催して桃花酒を飲んで宴を楽しんだとあります。

桃は中国から伝来したもので薬の果として扱われ、当時の花見は桃の花を愛でる行事でした。桃花酒はこの時、桃の葉をお酒に浸して邪気払いに飲まれていたものです。

節句に飲まれる桃花酒もやがて白酒になり、江戸期の「江戸名所図会」の「鎌倉町豊島屋酒店白酒を商う図」には、ひな祭りには多くの人が押しかけ大混乱になるほどの盛況だったそうです。

このころ甘酒も売られ、健康飲料と女性、子供も飲めるものとして定着していったと言われます。

当時の幕府が「五節句」として幕府公式の祝祭日として桃の節句・ひな祭りを盛り上げていました。幕府公認の栄養飲料としての甘酒も、庶民の口に親しんだものでした。

桃の節句と呼ばれるようになったのは、桃の花が咲く時期であると同時に魔よけの効果があるとされていたからです。

平安の時の「人形(ひとかた)」も小さなお人形「ひいな」と合わさり、江戸時代には「ひな人形」を飾り祝うようになりました。

この日にはひな祭りの行事食としてちらし寿司やハマグリの汁物、ひなあられが出されました。


このひな祭りも地方までひろがっていったのですが、地方それぞれ違いもあります。

ひな人形には京都の「京雛」と関東の「関東雛」があります。

「京雛」は左側(向かって右)に男びな、右側に女びなが座りますが、「関東雛」は右側(向かって左側)に男びな、左側に女びなが座るのです。

宮廷では左側が位が高いとされていたので「みかど」が左、「お妃さま」が右になるのですが、関東雛は現代の国際基準に合わせて「右上位」の座り方です。

現代は坐位ですが、江戸初期には立ち雛だったそうです。

また、ひな祭りのひなあられも関西と関東では違いがあります。

関西ではあられ、菱餅を砕いて作ったもので関東ではポン菓子、お米をあぶって作ったものがひなあられです。


中国から伝わった「上巳の節句」ですが、これは33日の上巳の祓いから来ているもので、630日の「夏越の祓い」、1231日の「年越しの祓い」に繋がる当時の国家行事でした。

長い歴史を持つひな祭りですが、令和333日は特にかみしめて、コロナに負けない祓いの祝い日にしたいものです。

のどごしの良い、甘酒あままに乾杯!!