2021/02/16 18:34

お米を作る日本の歴史では古来、渡来人と渡来物を含めてお酒の歴史と甘酒も広く人々に親しまれていました。

奈良時代の歴史書「日本書紀」に書かれている酒造りの神木花咲耶姫(このはなさくやひめ)が今日の甘酒「天甜酒」(あまのたむけざけ)を作ったとの記述があります。

同じ奈良時代の万葉集には山上憶良の「貧窮問答歌」に「糟湯酒」として米粕甘酒が登場します。

また室町時代の「公事根源」には「醴酒」として6月から7月末まで作られていたとあります。

江戸時代の百科事典「守貞漫稿」には「甘酒」として真夏の健康飲み物として紹介されていました。

この名残りとして俳句の季語辞典では夏の季語として扱われているのです。

日本酒のように手間暇かけて作るよりも簡単に一夜で作る事が出来たので、甘酒を一夜酒と呼んでいました。

日頃甘酒に親しんでいた庶民の事情を、多くの俳人も句に読んでいます。甘酒は身近なものでした。

それでは何句か紹介します。



甘酒の地獄も近し箱根山     蕪村

地獄とは箱根の大地獄・小地獄、現在の大涌谷・小涌谷のことで、旅の難所箱根には甘酒屋があり、旅人の疲れをいやしていました。

 

愚痴無知のあまざけ造る松ヶ丘      蕪村

松ヶ丘は鎌倉の東慶寺というお寺で、離婚を望む妻はこの寺で3年間の尼修業を積むと離縁が認められました。

そのような尼が愚痴を言いながら甘酒を造っていた様子と、「愚痴無知」が甘酒の発酵していく擬声語に掛けた言葉と言われています。五・七・五の言葉の遊びでもあるのです。

 

能き人や醴(あまざけ)三たび替にけり      蕪村

能き人とは身分の高い人の事です。

 

一茶の句も紹介します。

 

一夜酒隣の子迄来たりけり      一茶

 

有明もさし合わせけり一夜酒     一茶

 

正岡子規の句もあります。

 

味噌つくる余り麹や一夜酒      子規

 

松風に甘酒さます出茶屋かな     子規

 

庶民に甘酒は愛されていたのですね。

昔の人の俳句を口づさみながら、今夜も甘酒あままをどうぞ.