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2020/06/25 18:02

甘酒は「一夜酒」(いちやざけ)、醴(こさけ)と呼ばれていました。

奈良時代の「日本書紀」に木花咲耶姫(このはなさくやひめ)という酒造りの神が天甜酒(あまのたむざけ)を造ったという話がのっています。
字を見ると舌に甘い酒だったのかも知れません。
927年の「延喜式」に「よねのもやし」が紹介されています。これは米芽のことです。

古墳時代、朝鮮半島から渡ってきた渡来人の酒造りは米芽を糖化剤として蒸し米を糖化して作る「一夜酒」で、これは今日の甘酒のようなものです。
その後米芽造りの過程の中で麹菌が入り込み蒸し米についた麹菌で米バラ麴ができ、4世紀から10世紀に至る間にバラ麴から蒸し米を糖化して造る醴(甘酒)から今日のような清酒というようなお酒に変遷してきたといわれています。

万葉集(第5巻)に山上憶良の貧窮問答歌に糟湯酒(かすゆさけ)が出てきます。ここでは酒粕甘酒が冬の季語に使われています。
風雑へ 雨降る夜の 雨雑へ 雪降る夜は 術もなく 寒くしあえば 堅塩を 取りつづろい糟湯酒 うち啜ろひて 咳かい 鼻びしびしに意訳 風が吹き、雨や雪が降る夜はやり過ごす方法もなく、寒いときには咳をし鼻水をすすりながら塩を舐め糟湯酒を啜るのです
糟湯酒は庶民の酒で酒粕を湯に溶かしたものだろうといわれています。

平安時代には夏場に貴族が冷やした甘酒を飲んでいました。
室町時代、甘味料の少ない時代の大衆飲料として甘酒売り(にない売り)が登場。
「醴酒」として6月から7月まで売られていたという記述があります。

江戸時代に入ると本格的な甘酒売りの商売が生まれ、栄養豊富で体力回復に効果のある夏の飲み物として庶民の間に普及しました。
暑い夏には体力も消耗し、暑さで病気になる人も多く、特に夏に死亡率が高かったことから健康保持、栄養補給飲料として幕府も甘酒を奨励し、価格も四文を超えないようにお触れまで出していました。

このように、人間が生活し活動する上に必要なブドウ糖が豊富な上、多くのビタミン群とミネラル、必須アミノ酸など多くの成分が入っているためエネルギーの補給や免疫力の向上、腸内の改善など効果を発揮してくれることで庶民は夏の暑さを乗り切ったのです。
甘酒という名称は慶長年間(1596-1614年)の書物に初めて登場しており、

1840年の「守貞漫稿」(もりさだまんこう)には、真夏の栄養強壮剤として庶民に親しまれていたとあります。
武家の文献にも「悪酔い防止に甘酒を飲め」という奨励文献もあります。
ちなみに俳諧が盛んだった江戸期で「甘酒」の季語は夏であることを記しておきます。
この甘酒は酒粕甘酒ではなく、米麹甘酒だと考えられています。

江戸時代、徳川幕府は人々の往来や資材の運搬交流を促すために街道の整備を行いましたが、旅といえば歩くことでしかできないように体力を使う旅人や荷役使役者のために道中には甘酒をふるまう茶屋が設けられていました。
特に東海道箱根地域は山で厳しい道中なので、甘酒を売る箱根の「甘酒茶屋」は有名です。
文政年間(1818-1829年)には箱根地区には9箇所「甘酒茶屋」が設けられており、その他坂の上や山道を登りきったところには「甘酒茶屋」があったといいます。

甘酒は、日本人が生んだ最良の健康剤です。
江戸時代まで国民の健康飲料として育まれてきた甘酒ですが、明治に入り大きな時代の壁に直面します。
それは戦後も続きますが欧米の飲食の極端な推奨策と、明治政府が作った酒税法にあります。

明治32年(1899年)自家醸造が前面禁止になり庶民がお酒を作れなくなったのです。それまで各家で造っていたどぶろくも禁止です。
作ったら罰が下されます。
これは許可を得た蔵元だけが酒を造り、その税収で国政をまかなうというもので、1899年の国の税収の36%を酒税でまかない、1902年には国税収入の42%を占めていました。
国の政策で庶民の酒造りが禁止されましたが、近年お酒や甘酒の成分が改めて見直され甘酒がブームになっています。
古代から人々の育んだ発酵の知恵のひとつは、米麹から作られたアルコールの利用とそこに含まれる栄養成分にあります。
江戸の時代まで、人々は自分の健康に関して知識が豊富ではありませんでした。
当然、栄養補給とか健康補助食という考えはありません。
反対に情報が多い現代は「健康」という言葉に踊らされていないでしょうか。氾濫する健康サプリしかりです。

平均寿命の短かった昔は、健康でいることは自分の命を守ることでした。
今、病気にならないための未病対策、病気になって命を脅かすことのないように、日々の健康を維持するために甘酒をお勧めするのも、そのひとつの対策だと私たちは考えています。